SSLでは近接通信、特に音を用いた「音波通信」にまつわるトピックを中心に記事を掲載していますが、このたび、運営母体である株式会社スマート・ソリューション・テクノロジー(以下、SST)の独自技術である音波通信「TrustSound(トラストサウンド)」開発の責任者でもある首席研究員 難波より、いつもよりさらに技術面に踏み込んだ音波通信についてのお話を連載企画としてご紹介していきます! そもそも音波通信とは何なのか?電波の通信とは何が違うのか?どんな技術的課題を乗り越えてきたのか?など、開発をリードしてきた本人目線でお伝えしていければと思います。
みなさまこんにちは、スマートサウンドラボ(以下、SSL)首席研究員の難波です。
前回、「シャノン限界から、音波通信もノイズと周波数帯域によって、理論上の最大通信速度が決まるので、それらのバランスを考えて音波通信の設計をする必要がある」と説明しました。もうひとつ!音波通信の設計で考慮しなければいけない問題があります。
それは「音波の反射の問題」です。反射の問題は音波だけではなく、電波でも発生します。むしろ、長距離を通信する電波のほうが反射の影響が大きいと思われます。
音波も、数cm程度の距離で音を受信可能な場合は、あまり反射の影響を考慮する必要はありませんが10m程度の距離になると反射の影響を計算して音波通信を設計する必要があります。
最大のノイズの正体は自分??
音波通信は空中を伝わってくるので、環境のノイズが多いのは当然です。普通に暮らしている環境では、低い周波数帯域ほどうるさくて、高い周波数帯域ほど静かです。
音波通信は、人が聞こえる範囲の周波数帯域の中でも人に聞こえにくい高い方の周波数帯域を利用しています。それは、高い周波数帯域の方が耳の邪魔にならないということもありますが、高い周波数帯域のほうが静かでノイズが少ないというのも理由の一つです。その比較的静かな周波数帯域で、最も影響のあるノイズは何だと思いますか?
実はこれ、「反射した自分自身の音波」なんです。音波は直接届くものもあれば、反射して届くものもあります。反射して届く音波は、直接届く音波と同じ形をしているのに、少しだけ遅れて届きます。この少しだけ遅れて届いた音波が、直接届く音波と重なって、本当なら信号がない場所に信号があるかのように見えたりします。そうすると、信号のOFFをONに変えてしまうなど信号処理の邪魔をします。
さらに、反射波は一つではなく壁や天井、床などありとあらゆるものに反射して、いくつもマイクに飛んできてはノイズとなります。反射波をなくすことはできません。
そこで、反射波がノイズにならないように、音波の出し方を工夫する必要があります。基本的には、反射する距離を計算して、重なる音が邪魔にならない程度に信号の間隔を広くする等の対策をすることになります。一般的に通信距離を長くするほど、反射の影響が大きくなるので、それにあわせて信号の間隔を開ける必要があり、通信速度も比例してより遅いものになっていきます。
反射の距離を考慮せずに、通信速度のことだけ考えて信号の間隔を詰めた音波通信を設計してしまうと、例えば壁から1m離れた場所に立っている人は受信できないなどの問題が発生してしまいます。
「世界は反射であふれている」
これは、長距離用の音波通信を設計している時にSSTの開発担当者が言った明言です
近接距離ではあまり気にしていなかった反射の影響が、少し通信距離を伸ばしただけで、大きく影響するようになることを説明する時に使った言葉です。そして、普段はあまり意識していませんが、普通耳にしているいろいろな音は、ほぼ例外なく反射した音も合わさって聞こえています。そのため、音が反射しないように作られた無響室に入ると、逆に音が変な感じに聞こえます。それぐらい、世界は反射であふれているのです
はじまりは「近接音波通信には最悪の端末」
SSTで音波通信を最初に組み込もうとした製品は「PitTouch Pro」という製品でした。音波通信の開発目標は、スマホと数cmの近接距離で通信できることです。しかし、この製品は、液晶モニタの裏側にスピーカーがついている端末で、スマホと音波通信しようとしても反対側に音が出力されてしまいます。とは言え、正面に立っていても音は聞こえるので問題なく通信できると考えていました。しかし結果はかなりの高確率で失敗しました。いきなり音波通信の試練です。
事前に行ったスマホ同士の実験では上手くいっていました。この時はスマホのスピーカーとマイクは向かい合わせて、近距離での通信です。
しかし、「PitTouch Pro」は背面側にスピーカーが付いているという近接音波通信には最悪の端末でした。スピーカーから後方に出力された音波は、壁に跳ね返ってスマホに届きます。つまり、常に反射した音波を受け取ることになってしまいます。そして、実際に「PitTouch Pro」が設置される場所と、反射する壁との距離は決まっているわけもなく、設置する場所により受信できたりできなかったりという状況から最後まで脱することができませんでした。
これは、音波通信が近接用に設計されていたため、壁からの反射波がノイズになってしまうことが原因でした。この問題を解決するために、端末背面のスピーカ近くに反射板を取り付けるという力技を使い、反射の距離を強制的に短くすることで音波通信を安定させることに成功しました。これは、音波通信側は変えずに、環境を音波通信にあわせた例です。
そんな苦闘から10年以上たった今、「PitTouch Pro」の後継機である「TrustSound GateWay」には、ちゃんと前方に音波通信専用のスピーカーとマイクが搭載され、反射板などなくとも簡単に音波通信することが可能になりました。
逆に反射で苦労しなかった例として「PitTouch Mini 」という製品があります。これは底面側にスピーカーがある製品で「PitTouch Pro」と同様にスマホは反射波を受信することになります。しかし、底面にスピーカーがある場合、音波はすぐにテーブルで反射されるので、反射の距離が短く、音波通信にはほとんど影響がありませんでした。ちなみに「PitTouch Mini」の後継機である「TrustSound Sigma」は、天面側で直接波を受信できるようにスピーカーとマイクが配置されています。これは反射波より直接波を受信したほうがスマホで受信する音量が大きくなり音波通信には断有利だからです。